紅白歌合戦という極めて昭和な企画だが、大トリが松田聖子に急遽変更らしい。
だが、急遽変更ということについては、にわかにこのことは信じがたく、NHKの演出でしかないだろう。
なんでもいいから、話題にしようという、ちょっとした炎上狙いだろう。
もちろん、関係者には根回し済みで、実際の番組での演出も含めた伏線というところだ。
Mrs. GREEN APPLEって誰?ていう人はほとんどだし、松田聖子ほどのネームバリューのある出演者はいないだろう。
結局、誰にでもわかる、知っているが優先されるのはテレビでは当然のこと。
間違ってもYouTuberなんて注目されないのだ。
Yahoo!より、
『紅白』松田聖子の土壇場出場で“究極の大トリ”に波紋…Mrs. GREEN APPLEよりも“格上”なのか?
12/28(日) 19:44配信FLASH

紅白歌合戦で「究極の大トリ」が松田聖子でも何ら問題はない理由
― テレビというメディアの論理と、炎上演出の正体 ―
2025年のNHK紅白歌合戦で、松田聖子さんが番組の最後に登場する「究極の大トリ」となる構成が発表され、SNS上では一部で議論が起きた。
「なぜMrs. GREEN APPLEの後に松田聖子?」
「格が逆では?」
「ミセスがかわいそう」
といった声も見られるが、結論から言えば、この構成に「格の上下」の問題はほとんどない。
むしろこれは、テレビというメディアの本質と視聴者構成を考えれば、きわめて合理的な判断だ。
テレビは「知名度の最大公約数」で動くメディア
まず、冷静に視聴者層を見てみよう。
紅白歌合戦のメイン視聴者は、
- 若者ではなく
- YouTube世代でもなく
- 主に40代後半〜高齢層
である。
この層において、
- 松田聖子を知らない人 → ほぼ存在しない
- Mrs. GREEN APPLEを知らない人 → 相当数いる
というのが現実だ。
これは人気の優劣ではなく、「認知の広さ」の差である。
テレビは常に「最大公約数」を取る。
「誰でも知っている人」が最後に出てくる構成は、テレビとしては王道中の王道だ。
つまり、
松田聖子 > Mrs. GREEN APPLE
ではなく
松田聖子は「誰でもわかる」、Mrs.は「知っている人が強く支持する」
という性質の違いである。
テレビのフィナーレに置かれるのは、後者ではなく前者だ。
「急遽変更」は演出であり、炎上は予定調和
もう一つ重要なのは、「土壇場の変更」という見せ方だ。
これはほぼ確実に、
- 本当に急遽決まったのではなく
- かなり前から決まっていた構成を
- あえて「直前の変更」として発表している
という演出上の炎上装置である。
NHKは近年、
- 直前発表
- サプライズ枠
- 特別企画枠
を意図的に増やしている。
話題にならなければ見てもらえない時代だからだ。
つまり今回の構図は、
炎上 → 話題 → 記事 → SNS拡散 → 視聴誘導
という、非常に古典的かつ有効なテレビ的集客手法である。
そして、ここに本気で怒ってコメントする人ほど、
まさにNHKの演出に乗せられているとも言える。
「格」の問題ではなく、「役割」の問題
松田聖子とミセスは、役割が違う。
- Mrs. GREEN APPLE:現在進行形のトップランナー
- 松田聖子:日本ポップカルチャーの記号そのもの
これは上下ではなく、時間軸の違いだ。
紅白は音楽番組であると同時に、
- 年末行事
- 家族番組
- 記憶装置
でもある。
最後に流れるべきなのは、「今のヒット」ではなく「皆が知っている物語」だ。
それを担える数少ない存在が、松田聖子なのである。
まとめ:これは炎上ではなく、計算された儀式である
- 松田聖子の「究極の大トリ」は、視聴者構成上きわめて妥当
- 「急遽変更」は演出であり、炎上は仕掛けられたもの
- 格の上下ではなく、役割の違い
- テレビは常に「誰でも知っている」を最後に置く
紅白歌合戦は、音楽番組というよりも年末の儀式である。
そして儀式の最後に必要なのは、新しさではなく、共有された記憶だ。
だから、紅白の最後に松田聖子が立つ。
それは、実にテレビらしく、実にNHKらしい判断なのである。
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