益城町の例を言えば、熊本市と陸続きで自転車でも容易に行き来できる距離だ。
熊本市は益城町に比べて地盤は良いために揺れ方の程度は相当異なる。
益城町から熊本市に出て来るだけで生活するには格段に良くなるのだ。
便利だし、何より揺れが小さい。
地震はどこでも起こるのは事実だが揺れ方は場所によって異なるのも事実。
益城町の揺れと熊本市の揺れはレベルが違うのだ。
そのことさえ知っていれば、益城町にとどまらずに熊本市に出てきて、ストレスなどからもかなり解放された人が多かっただろう。
情報があるようでない。真実は地元が知っているわけでもなく、共有されているわけでもない。
また、熊本県庁は益城町ほどは揺れない。
こういう環境が震災関連死をむやみに増やしたのだ。
それは、よそからのボランティアが救えるというものではないのだ。
Yahooより。
<熊本地震>「人の心の強さや優しさを感じた」 被災1カ月
毎日新聞 5月15日 19時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160515-00000041-mai-soci
記事より、
避難所での生活は食事も偏りがちで、プライベートな空間がなく、硬い床で寝なくてはいけないため十分に睡眠が取れない。疲れもたまり「そろそろ限界です」と訴える。今の一番の希望は「家族で安心して暮らせる場所」だ。…
日本は住む場所は自由だ。
どこに食べに行くのも自由だ。
いざとなれば生活保護だってある。
家を再建したいという一番の希望は自分で得ることが一番だ。
支援はあればよいかもしれないが、支援が先に来るということではないはずだろう。
多くの義援金はこうした人たちの自宅の木造住宅の再建に使われるだろう。
つまり、家を建てるための金を差し上げるということだ。
その家は支援者には何のメリットもなく、ただ個人の財産となるだけなのだ。
家を持てない人間からすると、困るという意味がわからない。
熊本地震における地元九州、熊本市の被災をしていない人たちの協力に暖かさはあるのだろあか?
