正岡子規の未発表句、ただし質は問わない、の発見は続くだろう

未発表と言うが、あくまでプライベートなもの。
これを広く公表されることを正岡子規が望んだものではないだろう。
こうしたものが出てきた以上、正岡子規がとにかく書いた句というものの発見は今後も続くことが予想できる。
Yahoo!より、
正岡子規 未発表句を発見
8/22(火) 18:40配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170822-00000526-san-soci
記事より、
明治期の俳人、正岡子規(1867~1902年)の未発表句5句や自画像などが収められた「歳旦(さいたん)帳」が見つかったことが22日、分かった。東京の子規庵保存会が発表した。今年生誕150年を迎える子規の俳句がまとまって新たに見つかるのは極めて異例で、子規の晩年の句風が分かる貴重な資料といえる。
「歳旦帳」は子規が亡くなる前年の明治34年の正月、年始のあいさつに訪れた客の記帳用に子規が用意した芳名録のようなもの・・・
ホストとしての正岡子規が用意してものだから、ホストとして句の一つも書いておこうということだろう。
筆跡から?と思ったが、正岡子規自身が用意した歳旦帳であれば、そこでの最初にある句は正岡子規のものと考えて問題ないだろう。
今後もこうした発見は続く可能性がある。
例えば、句会というものは選句をする際には作者が誰か分からないようにして改めて清書をして選句とするという。
正岡子規が句会をしてその句が選ばれないというとも場合によってはあるだろう。
そうした選句されなかったものというものも出てくると、非常に面白い資料となるだろう。
もっとも、こうしたものを出そうという弟子などは居ないと思われるのだが・・・
それらを含めて正岡子規の作風を知りたいという人は多いのではないだろうか。
それが今回の発見となっており、もはや、何でも出てくる状態になったと言える。

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