職があると地域に人は残る。津波があっても水産加工会社はそうだ。

人を地域に惹きつけるものはやはり雇用だ。
雇用がないと生活ができない。
仕事、というと、できれば働きたくないというバイアスがかかるかもしれない。
しかし、仕事は楽しくないものだろうか?たまたま選んだ仕事が楽しくないだけなのではないか?
やりがいのある仕事があることで自信を持ったり、世間に何かを還元したりして充足感を得たりするものだ。
仕事を準備するということが人口減少時代には自治体の大きな課題となるだろう。
yahooより。
<石巻>次女を津波で失った夫妻 3歳になる妹とともに生き
毎日新聞 8月24日(日)23時4分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140824-00000081-mai-soci

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「この子がいたから頑張れた」。宮城県石巻市の水産会社社員、布施秀弥(ひでひこ)さん(32)は三女の華暖(かのん)ちゃん(3)を抱き寄せた。東日本大震災の津波で次女の莉桜(りお)ちゃん(当時6歳)を失った。その5カ月後に生まれた華暖ちゃんは24日、3歳の誕生日を迎えた。今春、自宅を再建した布施さんは、石巻で生きていく決意を新たにした。
 「莉桜ちゃん、また食べたいんだって」。この日、華暖ちゃんは買ってもらった誕生日プレゼントを広げ、綿あめを作った。隣には、写真の中でほほえむ莉桜ちゃんがいた。莉桜ちゃんも綿あめが大好きだった。
 布施さんは、華暖ちゃんに写真を見せて「もう1人お姉ちゃんがいたんだよ」と語りかけてきた。華暖ちゃんはいつも莉桜ちゃんの写真を持って出かけ、お菓子を買う時も、もう1人分を手にした。
 渡波(わたのは)小学校に入学間近だった莉桜ちゃんは、自宅から祖母らと同校に避難する際、津波にのまれた。10日後、同校付近で布施さんが莉桜ちゃんを見つけた。「苦しみながら死んでいった。つらい思いをさせてしまった。申し訳ない。悲しいより、悔しい気持ちでいっぱいだった」。大人になって初めて声を出して泣いた。
 妻貴子さん、長女こころさん(11)とともに石巻市内の仮設住宅に避難した。悲しみにくれる毎日だったが、5カ月後の夏、華暖ちゃんの誕生で希望が芽生えた。その成長は夫妻の新たな生きがいとなった。こころちゃんも空手を習い始め、前向きに頑張った。
 苦しい記憶の残る石巻から離れることも考えた布施さんの気持ちも徐々に変わった。今年3月、震災前の自宅から1キロほど離れた場所に新居を構えた。・・・

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